桧原歴史巡り金山浜探勝路・堂場山どんぐり探勝路

5月19日は、桧原歴史巡り金山浜探勝路と堂場山どんぐり探勝路を歩いてきました。
ビジターセンター正午の気温は18.2℃、風弱く天気快晴のよい日和で、パークボランティアさんにご一緒いただいてのトレッキングでした。静かな、歴史と自然めぐりのトレッキングとなりました。
トレッキングシューズや上下レインウエア、飲料水、食料、クマ鈴の他に日差し対策の帽子、汗拭き、それに場合によっては携帯トイレをもって歩いてください。

まず桧原歴史巡り金山浜探勝路ですが、このコースは、桧原湖最北部の、早稲沢(わせざわ)浜探勝路と桧原歴史巡り(小谷山城跡)探勝路、金山(かねやま)浜探勝路の三つに分かれています。浜辺の探勝路は平坦地、小谷山は標高差100mほどの登山となります。

さて、まず早稲沢浜探勝路です。ここのスタートは早稲沢浜の広々としたキャンプ場で、カツラ、シロヤナギ、オニグルミ等の巨木が涼しい木陰をつくってくれています。(↓)

林床には、ニリンソウがあちこちに咲いていました。(↓)

さて、キャンプ場の奥で吾妻川を渡るようになるのですが、ここの橋はまだ修復されていませんでした。(↓)

戻って、早稲沢浜探勝路の西入口から入ってみました。(↓)

ハンノキを中心とした新緑の中の道を進みます。(↓)

糠塚島が近くなったところで、木道が増水した湖水により浮いていてこちらも通行不能でした。(↓)

再度西入口に戻って、道路の反対側にある小谷山城跡探勝路の東入口から城跡に歩を進めました。(↓)

ここは、ミズナラ主体の気持ちのよい新緑の中を登っていきます。(↓)

30分ほど登ると、山頂の小谷山城跡の平坦地につきます。(↓)

この城跡、会津侵攻を目指した伊達正宗が1585年に拠点として築いた山城で、桧原城とも呼ばれていました。今はブナの巨木や古い切り株が点々としています。

昔の城郭に、今はオオカメノキが咲いています。(↓)

政宗の存命中にもオオカメノキは花を咲かせていたと思います。

さて、この小谷山、あちこちに岩石の露頭がありましたが、いずれもグリーンタフ(緑色凝灰岩)でした。約1500万年前の海底火山の噴出物が緑色に変質したものです。人類誕生のはるか前、日本列島が大陸から分離しつつあったころの岩石です。(↓)

さて、小谷山の麓に下ると、政宗の宿敵会津穴澤一族の居城、岩山城のあった堂場山が眺められます。(↓)(磐梯山の山頂のすぐ右の針葉樹の見える山)

政宗や穴澤一族が生きた戦国時代、もちろん桧原湖はまだありませんでした。

さて次は金山浜探勝路に向います。その時、金山の集落のすぐ西に見える山が、桧原金銀山の坑口がいまも山中に無数に残る山です。(↓)

桧原金銀山の最盛期は1600年代で、「桧原千軒」と言われるほどの大鉱山町を呈していたこともありました。金鉱の発見は1550年代との記録もあり、伊達輝宗・政宗親子が、三度の敗退にもめげず桧原を攻めたのは、桧原金銀山を手中におさめたかったためとの説もあります。

この金銀山の精錬所跡が、金山地区にあります。(↓)

今も方形の平地があり、すぐ隣には水量豊富な沢があります。この沢に水車をかけ、水力で選鉱した後、平地に立てた精錬所で精錬したと言われています。

さて次は、金山浜の探勝路です。

西側の入り口は、ほのぼのとした田園風景からスタートします。(↓)

この探勝路は、十分整備されとても歩きやすい状況でした。(湖水では産卵期の鮒狙らいの釣り人の姿が見られました。)(↓)

東口側は、柳の林の中に木道が続いています。(↓)

花期は過ぎましたが、ミズバショウの群落が見事でした。

さて、探勝路を歩いた後は村道を戻りました。湖岸からは、うるわしい光景が広がっていました。(↓)

右の黒い山は、亜高山帯のオオシラビソの繁る西大巓で、左の峰の一段下の長三角形の山容が、伊達政宗の桧原城のあった小谷山です。

さて車で金山地区から桧原本村を過ぎ桧原湖北西岸に進み、本日の後半の堂場山どんぐり探勝路のトレッキングです。桧原トンネルができてからは、駐車スペースが車三台分と狭くなりました。路肩の入口には、案内板がありました。(↓)

入るとすぐ、背のとても高いミズナラ主体の林を進みます。(↓)

良い天気のため、はやエゾハルゼミの爽やかな声が聴かれ、ブナの幹には今年の抜け殻がありました。(↓)

15分近く歩くと、堂場半島の稜線に出ます。

のびやかで気持ちの良い新緑の稜線を、すこしのアップダウンを繰り返しながら進むと、「岩山城自刃の舘跡」と書かれた標識があります。(↓)

これは、穴澤一族の首領を息子の新右衛門俊光に譲り、隠居した穴澤加賀守信徳が最期を迎え自刃した舘跡です。その時すでに息子穴澤新右衛門は、伊達正宗の智略により風呂屋で裸のまま非業の死を遂げていました。穴澤一族の最期の地です。
舘跡は、ブナ・ミズナラの森の稜線沿いにかなり広範囲にあったようです。

国土地理院地形図の標高899mの地点が堂場半島の最高点で、ここから北にはマツ科の針葉樹が出てきます。ここまでは比較的なだらかですが、この先は急に標高が下がり、半島の突端となります。(↓)

まわりはほとんどが湖ですが、眺望は部分的にしかありません。(↓)

半島近くの湾にはワカサギ釣りの屋形船が係留されてあります。(↓)

この写真が探勝路の突端で、高さ20mほどの断崖となって桧原湖に落ちています。(↓)

入口からこの突端まで、1時間はかかります。標高899m地点までで引き返すのもよいかもしれません。

新緑の季節、柔らかい緑色とムラサキヤシオツツジのピンク。(↓)

そしてタムシバ(ニオイコブシ)の白。それに甘い芳香。(↓)

このほか、写真は撮れませんでしたが、多くの野鳥の姿、さえずりに出会うことができました。キビタキ、オオルリ、クロツグミ、アカハラ、ツツドリ、アオジ、ノジコ、アオゲラ、アカゲラ、シジュウカラ、ゴジュウカラ、センダイムシクイ、ヤマドリ、ウグイス、ホオジロ、カワラヒワ、エナガ・・野鳥の宝庫です!

本日の二つの探勝路、桧原歴史巡り金山浜探勝路と堂場山どんぐり探勝路は、まさに遠い歴史と今日の自然が時を隔てて接する、とても魅力的なコースでした。みなさんもぜひ歩いてみてください。

◇ターサン◇

※こちらの自然情報はPDFファイルでもご覧になれます。
ダウンロードはこちらから→桧原歴史巡り金山浜探勝路 堂場山どんぐり探勝路
※裏磐梯では、近年クマだけでなく、イノシシも生息し始めました。
十分注意しましょう。 どちらも目撃したら、当センターにお知らせください。(電話:0241-32-2850)
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